寄りホット情報
 
 お客様の成長発展が私達の仕事です。
                          お伝えしたい、感動のメッセージ!!
 

潟ーマスブレーン 感動・情報  



『高田好胤氏の感動のお話』

 三十年ほど前になります。奈良の大きな講堂で、ある業界の全国大会があり職場の同僚と参加させていただきました。その時のお話しは、はっきりと記憶しています。講師は、当時の薬師寺管長 高田好胤氏でした。大きな講堂の三階の席ではるか先に小さく見える状況でした。しかし、マイクからのお話しはとても強く心に響きました。

法華経の一節
「人として生まれること難し、死するところ生あるは有難し」

この短い言葉のみを繰り返し、解り易く説明してくれました。地上には、多くの生き物がいます。犬や猫、ゴキブリ等、その中で、「人」として生まれることが出来たのは、「奇跡」としか言えない。これほどの大きな幸せを受けて私たちは、生まれてくることが出来たのです。

それだけではなく、せっかく人として生まれてこれたのにアフリカでの餓死や戦争で多くの命がなくなっています。また、病気や事故等でも多くの命が奪われています。

その中で今、健康に過ごせていることがどれほど幸せなことか、そのことに気づくことが出来たら「感謝」「幸せ」以外になにがあるでしょうか。心の眼が開く、目からウロコが落ちるような感動を受けました。人として生まれて来れたこと、そして「今」が幸せなのですね。



ディズニー感動のお話し(レストラン)

ディズニーランドのレストランにある若い夫婦が訪れ「お子様ランチ」を注文しました。
しかし、メニューにも「お子様ランチ」は9歳以下と書かれてあります。

そのときアルバイト(キャスト)の青年は「どなたがお召し上がりになるのですか?」
と質問すると奥様が小さな震えるような声で「死んだ子供に食べさせたくて」と応えました。
そして、
「私達夫婦に女の子が授かりましたが、体が弱く1歳の誕生日を迎えずに亡くなりました。
 今日は、一周忌なのです。いつかは子供をつれてこようと夢見ていました。」

そのアルバイトの青年は、4人席の家族テーブルに案内し、そっと一つだけ子供用のイスを用意し、しばらくして3人分の「お子様ランチ」が運ばれ、
「ご家族でゆっくりお楽しみ下さい」と挨拶して、その場を立ち去りました。

若い夫婦は、失われた子供との日々を噛みしめながら時を過ごしました。

後日その夫婦より手紙が届きました。
「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように家族
 団欒を味わいました。また、2周忌・3周忌に娘を連れてディズニーランドに必ず行きます。
 そして、今度はこの子の妹か弟を連れてきっと遊びに行きます」と綴られていました。

このような行為はマニュアル破りの規則違反です。しかし、東京ディズニーランドでは先輩も同僚も彼の行動を咎めません。それどころか彼の行為はディズニーランドでは賞賛されるのです。マニュアルは基本でしかありません。マニュアルを超えるところに感動が潜んでいるのです。


立派な日本人のお話  A
〔帝国海軍中佐 駆逐艦「雷(いかづち)」艦長 工藤俊作〕
 記憶に残る記事がありましたので一部を紹介させて頂きます。
 昭和十七年、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦で日本艦隊と英米蘭の連合艦隊との間で行われた海戦で、イギリス巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」が撃沈され、乗組員が海に投げ出されたときのことです。
英国将兵は壊れたボートや木の板につかまりジャワ海を漂っていましたがすでに二十時間以上たっていたので全員が気力体力ともに限界に達していました・・・そのときです。目の前に突然、駆逐艦「雷(いかづち)」が
現われたのです。戦闘行動中の敵艦に発見されたので英国兵はみんな死を覚悟しました。欧米ではこのような時、機銃掃射を浴びせ皆殺しにする事が当たり前だったからです。
ところが工藤艦長は「英国兵を救助せよ」と命令。「雷」は即座に『救助活動中』の国際信号旗を高々と揚げて停船し、乗員の約2倍、四二二人の将兵を終日かけて救助介抱したのです。戦闘海域で艦を止めることはとても危険な行為です。すでに砲声は止み、洋上に艦影はありませんが、この海域には米英の潜水艦が潜んでいます。いつ魚雷攻撃を受けるかも知れないことを覚悟の上での救助活動でした。
夕刻、工藤艦長は英国海軍士官全員を前甲板に集めて健闘を称え「本日、貴官らは大日本帝国海軍の名誉あるゲストとなった」と英語でスピーチし、そして全員に丁重な処遇を約束したのです。
この話は「英タイム紙」にも掲載され、後に外交官として活躍した元海軍中尉サムエル・フォール卿が「帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と銘記した著書を著したほど有名な話ですが、工藤俊作海軍中佐を知る日本人はほとんどいません。
なお、「雷」に救助された「エンカウンター」の砲術士官だったサムエル・フォール卿は、恩人の工藤艦長の消息を探し続けていました。しかし、彼が消息を探し当てた時には既に他界していましたが、せめて墓参と遺族へ感謝を伝えようと平成十五年来日されましたがお墓が見つからず叶いませんでした。そして、そのお墓が見つかり平成二十年十二月七日、六十六年の時間を経て、駐日イギリス大使館武官同行のもと、埼玉県川口市内の工藤艦長の墓前に念願の墓参りを遂げ、感謝の思いを伝えたそうです。国は異なっても、恩に報いるイギリス紳士の熱い思いにも感動します。(漁火新聞213号より一部抜粋)


「未来(あす)への扉をひらく人間力」 中村 文昭 氏
(平成24年11月7日岸和田JC公開例会:岸和田波切ホール)
※平成24年文化勲章受賞、引きこもりニートを集めて北海道で農業プロジェクトを立ち上げる
*昭和44年1月18日生、三重県出身、皇學館高校卒業、(有)クロフネカンパニー 代表 年間講演回数300回以上(5年連続)
・ 高校卒業後、家出同然で上京し、なんとなくバイトで日々過ごす中、偶然焼き鳥屋で隣り合わせた人物に出会い体中がスイッチオン。その場で弟子入り、人生が一変する。
森信三先生の言葉を紹介「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」
・ 伏せたコップが上に向いたとき、過去の失敗が笑いのネタに化ける
・ 何の為に生きているのか、目標・目的を明確にする。
・ 生きる為に働く?⇒したいことがあるから働いている!人の為に、人を輝かせる為に!
*人に喜んでもらうこと!「人をひきつける魅力=人間力」・必要とされる事業は必ず伸びる。
・ お金は、入口(稼ぐこと)より出口(使い方)を考えると必要なだけ集まる。
・ 人のために、人のために、人のために・・使いたい。だから稼ぐ。
・ 夢やロマンを語れる経営者⇒人を喜ばせること

☆師匠直伝出会いを生かす4つの鉄板ルール☆
・返事は0.2秒(NOはない!素直な心0.2秒の返事で心をつかめ!)
・頼まれ事は試され事(頼まれ事は、試されていると思い相手の予測を上回れ!)
・出来ない理由を言わない(大抵の事は出来なかったのではなく、やらなかった結果!)
・今できることをやる(「そのうちやる」は永遠にやらない。とにかく探して動け!)


・ 返事の前に我が都合を言うな!『はい』と返事が出来ること。全て相手のために行動する。
・ 自分の事より少し相手が喜んでくれることを考えろ。能力は人を喜ばすことに使う。
・ 自分の為に努力してきた人が引きこもりになっている⇒自分の為に×、目の前の人の為に◎
・ 頼まれごとに少し価値を付けて返す、これを継続するとある時ハッピーブレイクポイントが訪れる
・ 目の前の苦しみが将来の楽しみになり人に笑いながら語れる時が必ず来る、その時が楽しみ。
・ 聞かないうちに引き受ける決意をする。「はい」⇒出来ることしか頼まれない
・ 「私が出来ることがあったら何でも言ってね!」人を喜ばすことに努力する
・ 草食系(動く)から植物系(完全受身、動かない)男子急増、あきらめ人生、子供が危ない。
・ 夢と目標を持てる人生⇒現在、北海道で全国の引きこもりを集めて自然農法の農地開拓
・ 日本の未来のために頑張る、人を喜ばせることを考え行動できる人を増やしたい
・ 「今が人生の中で一番若い日、明日は一日老いる、人生は一度だけ!」
・ お金も成功も入口(取ること)ではなく何の為に使うのか(出口)目標があって入ってくる。




  「お客様をファンにするおもてなしの極意」 
             日本旅行 カリスマ添乗員 平田進也 氏


・ 業界平均営業マン年間売上1億円、平田氏は8億円 → その極意とは!
・ 業界平均営業マン毎年25%売上ダウン → 平田氏毎年25%アップ

・ 笑って何ぼや、なごまし、笑わす。最初の3分、5分で決まる。
・ 予想を超える「あほ」なことをする。人をとことん喜ばす!
・ サービスは無限、本気かどうか。サービスをする× →やりきる!やりぬく!

・ 価格で勝負するな、付加価値(魅力)で差をつける!
・ 最大に満足しているお客様を作ること、満足したお客様が最大の広告塔!
・ お客様を絞る → キン(金)トキ(時間)餅(持ち)を探せ! → 50歳〜の女性

・ 観光とは、光を観る。明かりがあるか! 「ありがとう」があふれているか!
・ 今がチャンス! 明るくしたら売れる! 会社ではない、人が選ばれている!
・ 旅行社は、PC(楽天トラベル)に変わった。 → アナログに勝機あり!
・ 「この人は一所懸命」が見えた時、お客様の心を打ちぬける、やりきること。
・ お客様は、ミツバチ。美しい花を探している。感動を探している。

・ やらされている仕事は辛い、やっている仕事は楽しい(常に考える)。
・ 工夫があるところに人は集まる。「4時間の家出、あだ討ちツアー」大ヒット!
・ 逆転の発想、時差を使え、三方良し、企画力、楽しみを生み出せ!

・ どん底に下りて考えろ、現場で汗を流し、頑張って考えろ! → 楽しい
・ 波長の合うお客様と出会う。無限のお客様がいる。多くの出会いを作ること。

※ 尚、「4時間の家出、あだ討ちツアー」とは、夕方4時に高級ホテルでのディナー、
   5時半に北の新地の高級クラブ、7時からおかまのショーパブ、
   時差でお店と交渉、三方良し、企画力で大ヒット
                   (大阪商工会議所平成24年9月19日講演)


「はがき道に生きる」 坂田道信 先生 実践人夏季研修会 講演録抜粋

 昭和四十六年夏、ご縁に導かれて森信三先生の研修会に参加させていただきました。その時徳永先生寺田先生やいろいろ立派なお弟子さんと出会い、突然複写ハガキを書くように教えられました。それまで私は、勉強が全然できなかったのです。体が弱くて小学校に入ったとき一年の間に三回肺炎をやって留年しました。中学三年の時まで寝小便を毎晩していました。体が弱くて毎日医者には行きますが学校にはあまり行きませんでした。その私が二九歳の時、複写はがきを書くようになり、一枚のはがきに三個の漢字を入れようと決めて辞書を持ち毎日書くようになりました。
 私の人生は九十九%失敗ばかりでしたが森先生の教えによって救われてきました。複写はがきに教えられた人生、複写はがきが私の大学だったのです。ありがたいなあ。複写はがきは五十枚の薄い帳面にはがきを挟みカーボン紙をいれ一行目に森信三先生○月○日と書くのです。どなたに何を書いたのか日記です。心の歴史です。子供に対しての遺言です。複写はがきを書く友達の中で広島読書会が生まれました。徳永先生がやがて亡くなられその六月二十九日を複写はがきの日と寺田先生に決めていただきご恩返しにはがき祭をするのがいいなあと今年で三十三回させていただきました。また昨年から読書会でその始まる十分前に複写はがきを書きます。それをやり出したら頭を動かすだけでなく体を動かす作業で皆が活き活きするようになりました。

 私は、十年間独身でした。三人の子供を残し女房が死にました。子供の面倒を見て働けずどん底の貧乏をしました。国鉄の払い下げの服を十年着ました。寺田さんのところへ行った時シャツを買って着せてくれました。そのような中でもはがきを書き続けました。そんな時、今の女房が「あんたの嫁さんになってもいいよ」と来てくれましたが、女房の姉が貧乏で仕事もろくにない三人の子持ちに大反対し寺田さんのところまで行ったら「あんなに前途有望な青年はいません」と言ってくれました。寺田さんは恩人です。女房には何があっても賛成します。女房はきつくて言うことは聞かず私と同じ欠点だらけの女ですが逃げられそうになると結婚式(続婚式)をします。誓いの言葉を一所懸命書きます。「幸せにできんですまんなあ」すると「あんたと結婚して実に面白かったよ。ありがとうね」と返ってきます。私達夫婦を見て仲が良いように見えるようですが、良いのではなく付き合い方が高度なのです。

 私は気がつくのが遅いんです。青のカーボンと黒のカーボンとどちらが良いか十三年間悩みました。そしてある先生が「父兄に書く通信には黒より青が良く伝わる」とあり、あっそうか心は明るく楽しい青で書いた方が良く伝わると気づきました。また縦書き横書きでも悩むんですよね。アメリカの文字は縦に通用しないが日本の文字は縦に書くように作られているから縦に書くと文字が喜んでよく働いてくれるんですよね。

 私はこれまで四苦八苦の人生なんです。世の中を恨んだですがむしろ神や仏は救いたい、助けたいという思いの中で生きていることに気づきました。はがきを書く中で教えられたのです。情け容赦ない世の中で苦労する、天は過酷な人生を与えるなあ。周りの人に迷惑ばかり掛けてきたなあ。そんな中でご恩返しという言葉が浮かんできたのです。ありがとうございます。
                            (平成24年8月18日 文責 丸山孝明)


立派な日本人のお話〔陸軍 中川大佐〕

中川大佐は、南洋パラオ諸島のひとつ、ペリリュー島の守備隊長。そして、パラオはかつてスペインの植民地で、その後ドイツの植民地になり、第一次世界大戦後に日本の委任統治領になりました。
 スペイン統治下のパラオでは、天然痘の流行や搾取・虐殺されたため人口の90%もが減少しました。また、その後を引き継いだドイツも現地の人々のための医療機関や教育機関を整備することはせず、人々は貧しく苦しい生活を強いられていました。
 ところが第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに代わって委任統治をおこなった日本は、学校や病院を建設し、住宅や道路を整備するなど、これまでと全く違った政策をすすめ、パラオの人々と『仲の良い友人』と言えるような関係を築いていました。

 やがて大東亜戦争が始まりました。パラオ諸島のペリリュー島には約一万人の日本軍がおり、これをアメリカは約五万人で攻撃することにしました。米軍の主な兵器は火炎放射機や迫撃砲あるいは重砲ですが、艦砲射撃や爆撃などを含めた火力は日本軍の六百倍。アメリカは「二〜三日で陥落できる」と考えていました。
 南洋諸島をめぐる戦闘は日増しに激しさをまして戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくはない状況となったので、日本軍はペリリュー島の村民全員をパラオ本島へ避難させることにしました。
 ところが島民達は、「日本軍と共に戦おう」と決めました。そして代表数人が「あの優しい中川隊長なら一緒に戦いたいという願いを聞いてくれるに違いない」と考えて守備隊司令部に中川大佐を訪れこのように言いました「私達は日本軍と共に戦います。死ぬことは覚悟しています」。
 これを聞くや中川大佐は大声で「帝国陸軍が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!出て行けッ」と怒鳴りつけ睨みつけました。
 みんな驚きました。そして「仲間だと信じていたが、見せかけだったのか・・」と、裏切られた思いで悔し涙を流しました。やがて日本軍が用意した船でパラオ本島に向かって島を去る日となりました。日本兵は一人も見送りに来ません。村人たちは悄然として船に乗り込んだそうです。
 そして汽笛が鳴り、船が岸辺を離れた次の瞬間、ペリリュー島に残った日本兵全員が走り出てきました。港の桟橋や砂浜は日本兵で一杯となり、村人達と一緒に歌った日本の歌「ふるさと」を歌いながら大きく手を振っています。「無事に暮らせよ!」「元気でなーッ!」と大声で叫ぶ日本兵もいます。このとき初めて分かりました「中川大佐は私たちを戦争に巻き込まないため、あんなことをいったのだ。心の底から私たちを愛していたのだ・・」誰もが船の上から泣きながら、そしてちぎれんばかりの手を振ったのでありました。
 ついに上陸作戦が始まりました。「二〜三日で落とせる」と踏んだアメリカ軍に圧倒的に不利な日本軍は武器弾薬や食糧の補給もなしに二ヶ月半守り通して上陸作戦史上最高の損害率を出させるほど抵抗したものの、守備隊司令部は大本営に「サクラ・サクラ」と打電し最後の突撃を行いました。一万人いた日本軍で生き残った者はわずか三十四名。激戦地ペリリュー島の民間人死傷者はゼロ。戦闘の後、島に戻った島民達はおびただしい数の日本兵の亡骸に涙を流しながら丁重に埋葬したのでありました。(漁火新聞6月号より引用抜粋)


       『ありがたいねえ』 
                   作文コンクール総理大臣賞 石巻湧谷第一小学校六年中村早希


   三日目、凍りつきそうになる両足をカタカタ震わせながら考えた。
  (そうだ、あの日も、私はごはんを残していたんだ。しかも、私たちの学年の残飯量は、
毎日、目立っていた。)
  あちらこちらから、せきをする音が聞こえ、避難所として用意された教室に響いた。
  そして、小さい子が泣き出す。
「おなかへったよお」
  その子供のお母さんが、二人をだっこして、教室の外へ出ていく。
   「すみません」
小さな声だった。私は心の中で返事をする。
  (誰も迷惑なんて思っていませんよ。)丸二日、食べ物を口にしていない。
突然、恥ずかしいという思いが押し寄せてきた。
自分の意思で、食べ物をそまつにしてきたことに対する恥ずかしさ。
「え、本当に。やったあ、やったあ。」「もらえるんだって、おにぎり。」
(うわあ、三日ぶりのごはんだ。)配給されたおにぎりを両手を器にして、
半分腰を曲げて受け取った。いや、頂いた。でも、あれほど待ちのぞんだおにぎりなのに、
食べるのがもったいないように感じられた。友達と、こんな会話をしながら、
寒さや恐怖とたたかっていたのだ。
「食べ物が食べられるようになったら、最初に何食べたい。」
私達の答えは、三人とも、おにぎりだった。

 この時、私の耳に入ってきた言葉、「ありがたいねえ。」
近くで窓の外をじっとみつめながらおにぎりをたべていたおばあさんの言葉だった。
この言葉によって、手の中のおにぎりが、よりいっそう輝いて見えた。感謝の心が、
つやつやと光っている。友達と顔を見合わせ、どちらからともなく、口にした言葉。
「食べるよ、食べるよ、せえのっ。」口にしたおにぎりの味は、たぶん一生忘れないと思う。「一つ夢、かなったっちゃあ、私達。」お米の味をかみしめながら自衛隊の人に手を合わせ、何度も何度も(ありがとう)を繰り返した。

 今、思う。あの日のおにぎり、あれは希望だった。あのおにぎりがあって、私がいる。
おなかがへった、と泣いていた二人の命がある。
寒さとたたかっていたお年寄りの方々の命がある。あれは、千二百の尊い命を救った、
まさに命のおにぎりだったと思う。多くの手と、その思いが実らせるお米だからこそ、
私達に希望を与えてくれ、明日を感じさせてくれたのだと思う。
支え、支えられるための力を生み出してくれたお米に感謝したい。(ありがたいねえ。)


             =売上世界一、ウォルマート=
             (アメリカのディスカウントストアー)

創業者サム・ウォルトン(1918−1992)氏の思いが経営に強く影響し、素晴しい世界一のお店が実現しています。そして感動のサービスは伝説となります。

ウォルマートの創業理念(ポリシー)は、次の二つです。
1、お客様は常に正しい 2、もしお客様が間違っていると思ったら1に戻る

《ポットのお話し》
アーカンソーの本社入口に上記理念とその横に古びたポットが展示されています。このポットには大切な意味が込められています。ある老夫婦の会話です。
おじいさん「倉庫から出てきたこのポットにお湯を入れても直ぐ冷めるんだが」
おばあさん「うちは、ウォルマートでしか買い物しないから一度持っていけば」

おじいさんがいつも行くウォルマートにポットを持って行き理由を説明しました。店員さんは、笑顔で「どうもありがとうございます。どうぞお気に入りのポットがありましたらお選び下さい。もしお気に入りがなければ、いくらで買われましたか。お金をお返しします」(返品返金制度)

もちろん、商品検査部門は充実しています。調べますと、昔軍隊で配っていた水筒だったそうです。お客様がお店を忘れずに持ってきてくれたことが大切であって、それが事実かどうかは、大切ではないと考えます。もし、その後老夫婦が何かの機会にこの話を誰かにして、軍隊の水筒だと気づくことがあれば、その老夫婦は驚き、改めて「さすがウォルマート」と感動し更にファンになるだけではなく、多くの人にこのことを伝え創業理念が本当であることを語り継ぐことでしょう。世界一のお店は、お客様第一の小さな実践を徹底して継続した結果といえるのではないでしょうか。「お客様が大好き。いつも、お客様のために」という創業者サム・ウォルトン氏の思いが伝わって来ます。

《テニスラケットのお話し》
アーカンソーの本社入口に上記理念とその横に少し歪んだテニスラケットを展示しています。このラケットには大切な意味が込められています。

ある日、青年がお客様サービスの窓口に来店し店員さんに持参したテニスラケットを示し「このラケットでは、まっすぐにボールが飛びません」と言いました。どう見ても、1シーズン使い込んだようなラケットです。しかし店員さんは、迷わず笑顔で「どうもありがとうございます。どうぞお気に入りのラケットがありましたらお選び下さい。もしお気に入りがなければ、いくらで買われましたか。お金をお返しします」(返品返金制度)と対応します。

もちろん、商品検査部門で調べますが、お客様がお店を忘れずに持ってきてくれたことが大切であって、それがどのような理由かは、大切ではないと考えます。少し理不尽と感じることもあるかも知れませんが、あえてウォルマートは、妥協せず創業の精神を貫くことを徹底しています。

ライバル店Kマート等では、そこまでの対応は、ありません。時が経過しKマートは倒産し、ウォルマートは世界一の会社になりました。このことが全てを示しているのではないでしょうか。世界一のお店は、お客様第一の小さな実践を徹底して継続した結果といえます。「お客様が大好き。いつも、お客様のために」という創業者サム・ウォルトン氏の思いが伝わって来ます。

《勲章のお話し》
1992年 サム・ウォルトンは、ジョージ・ブッシュ大統領(お父さんの方)から自由勲章(アメリカでの文民最高勲章)を受けました。そのときのお話しです。全米一の会社になったことで大統領から最高勲章の授与の為にホワイトハウスに来るように連絡がありました。しかし、サムは「交通費がもったいないから要りません。余分なお金があったらお客様のサービスに使います」と断りました。(少し、アメリカンジョークも含まれているのでしょうが・・)

ブッシュ大統領もあげるといったためし、引っ込みがつきません。そこで田舎町のアーカンソーまでファーストレディーと共にやってきました。勲章授与式は、その地域最高のホテルでする事なく、会場は社員食堂でした。(その光景はアメリカ研修でビデオを見ました)ブッシュ大統領が登場しサムに勲章を授与しました。その時、サムは勲章を手にして集まった社員に向って「皆の代わりに貰っといたから」と語りました。その一言に、社員は大歓声を上げて会社のスローガンを一斉に唱和しました。(全ては、お客様のために)

全ての目がお客様に向いています。世界一のお店は、お客様第一の小さな実践を徹底して継続した結果といえます。「お客様が大好き。いつも、お客様のために」という創業者サム・ウォルトン氏の思いが伝わって来ます。

《ボーイング社幹部社員ヘッドハントのお話》
ウォルマートも年々成長し経営幹部人材の必要性に迫られ、シアトルのボーイング社から幹部に来てもらうことになりました。当日、アーカンソーの飛行場にサムが迎えに行くようになっていましたが、急用で行けなくなり、彼の車の鍵を空港のカウンターに届け、本人にその旨の連絡を入れました。

ボーイング社の幹部社員は、空港に到着し空港職員にサムの車の鍵を受け取り、駐車場を眺めましたが全米でも注目される優秀企業創業者にふさわしい車が見当たりません。空港職員に尋ねましたら「あの車です」と指差す方向に目を向けましたら一台のポンコツトラックがとまっていました。

サムにとっては、車はそれで充分だったのでしょう。自家用ジェット機があっても、路線便を利用する時は、常にエコノミーシートだったそうです。サムが「けち」であることは有名ですが、お客様のために使う費用には最大の投資をします。そして、最大の納税そして社会慈善活動にはよく寄付をしたそうです。

世界一のお店は、お客様第一の小さな実践を徹底して継続した結果といえます。「お客様が大好き。いつも、お客様のために」という創業者サム・ウォルトン氏の思いが伝わって来ます。

《NHKテレビのお話》
2002年ウォルマートは、日本に上陸し西友を合併しました。その時のお話です。その当時の社長は物流担当重役から社長になったスコットさんでした。その調印式は、日本中が注目しました。そして当日とその翌日の二日間連続でNHK夜10時に特番が組まれました。調印式当日夜10時のテレビで司会のアナウンサーが「いやー、今日は驚きました」と少々興奮気味で番組が始まりました。ウォルマートならではのとんでもないことが起こりました。

スコット社長は、多忙なスケジュールの中でNHKへの表敬訪問も予定していました。NHKでは全米最大企業の社長が来社するということで、最高の出迎え体制を取り、会長・社長・幹部全員が整列しその時を待ちました。全米最大企業の社長が来社するのです。誰もが高級車数台が車列を組んで到着すると確信しています。その時、ふらふらと一台のワゴン車が正門に近づいてきました。警備担当者があわてて飛び出し静止し、排除しようとしました。すると道路の脇に止まった一台のワゴン車から大柄のアメリカ人数人が窮屈そうに身をかがめて、そのワゴン車からでてきました。

NHKアナウンサーが興奮気味にそのことをスコット社長に質問しました。「なぜですか」その返答がすばらしかったです。「創業者、サムの精神(創業理念)です。」世界一の会社もその小さな実践の蓄積の中からすばらしい成果が実現したといえます。

《EDLP(エブリデイ・ロー・プライス)のお話》
日本の有名量販店、例えばホームセンターコーナンさんの入り口にも大きくEDLP(エブリデイ・ロー・プライス)の表示を目にします。意味はいつでも安心価格、必要な分だけ買ってくださいということです。ウォルマートは安売りチラシでお客様を集客しません。それは、お客様に迷惑を掛けると考えるからです。

ある商品を安くしてお客様を引こうとすると、お客様は必要以上の商品を買います。お客様の家の棚に多くの商品が積まれます。工場もいつも以上に多く生産します。トラックも特別便を出します。流通が乱れます。それをムダと考えます。いつも安定していて安心価格、これが結果としてお客様の為になります。

商品情報もPOSレジを活用し、本社管理部で在庫管理をせず購買情報を直接メーカーの工場に伝達し生産管理が出来るようになっています。クロネコヤマトのネコシステムは有名ですが、ウォルマートではリテールリンクという流通システムを開発し商品がほとんど滞留しないようになっています。大型トラック(コンボイ)が荷物満載で倉庫に入っても、30分ほどで待ち受けている小型トラックに配分され、常に倉庫は空に近い状態でムダはありません。

お客様の為にムダを徹底して排除すると、結果として最高の仕組みができるといえます。世界一の会社もその小さな実践の蓄積の中からすばらしい成果が実現したといえます。サム・ウォルトンの精神といえます。

《 グリーターさんのお話 》
「お客様が大好き。いつも、お客様のために。」と毎日、一所懸命努力している
創業者サムを悩ます事件が起こりました。万引きです。彼は、相当悩みました。
創業理念では、想定していないことです。創業時のポリシーは「お客様は常に正しい」です。一般的な対策としては、ガードマンを配置するとか防犯カメラ
を設置することが考えられます。しかし、それでは創業理念に反します。

そして、彼はひとつの結論を出しました。お客様に万引きをさせるのは、お店に原因がある。私達が、心を込めて接客が出来ていないから、お客様はお店に
対して愛情を感じることが出来ないのであって、その原因は私達にある、というものです。お客様に悪い行いをさせたのは、私達である。そして、原因がはっきりすれば、対策は可能です。

それが、ウォルマートでおなじみの「グリーターさん」です。グリーターさんとは、笑顔のすばらしい少し年配の女性が店頭に立ち、心を込めてお出迎え、
お見送りをする、その仕事を担当する人達のことです。確かにお店に行きますと感じの良いお出迎えがあります。目と目が合って笑顔で挨拶がある。それが、大きな効果となりました。「いつも、お客様のために」の実践はぶれることがありません。世界一の会社もその小さな実践の蓄積の中からすばらしい成果が実現したといえます。創業理念とは、サム・ウォルトンの精神といえます。

《パートさんのお話》
ウォルマートには、労働組合がありません。そのことをマスコミ等が批判することがあります。「低賃金で社員を働かせて、コストを下げて会社は儲けている」
というものです。一般的な意見として、それは正しいとも言えます。そして、多くの会社では、より安い労働力で儲かる会社を作ろうとしています。

事実、ウォルマートのパートさんの賃金はあまり高いとはいえません。もし、
そのことがやる気をなくす原因であれば、会社は、成長することはなかったといえます。しかし、ウォルマートは、全社員が「お客様が大好き。いつも、お客様のために。」という思いを共有し大きく成長しています。そこには、大きな
創業者サムの精神がひとつのすばらしい仕組みとして浸透しています。

創業者サム・ウォルトンには、経営者・労働者の対立は想定されず、全社員が
「お客様の為に」という思いを実現する為に日々努力することを経営と考えています。全員がお客様を見ています。世界一人が集まるディズニーと同じです。
そこに労使間での対立があるはずがありません。そして、パートさんの胸のネームプレートの名前の上に一行文字が書かれてあります。「私は、オーナーです」。
サムは創業の時から社員持ち株制度を実施しパートさんにも会社の成長に合わせて配当が相当あるようです。お客様第一は、社員第一でもあるということを、
教えてくれています。創業理念の実践は、どのようなときでもぶれることはありません。それがすばらしい現実と結果を作っているといえます。


(NHKラジオより)
ラジオから耳にしたお話です。アナウンサーが少し興奮気味に、年配の婦人から
届いたお便りを読み始めました。
 
「先日、石川県能登にある和倉温泉の加賀屋さんに行きました。そこであったお話しを
させて頂きます。

玄関で心のこもったお出迎えを受け、さすが以前来たときと同じだと感動しました。
フロントでチェックを済ませ、仲居さんが荷物を持って部屋へ案内をしてくれました。
ひと通りの説明を受けたあと、ふと仲居さんが一人で訪れた私に興味を持たれたのか
『こちらは初めてですか?』と質問されました。私は言うつもりではなかったのですが、
その優しい声にふと『実は、・・』と話し始めていました。

二回目です。もう三十年も前になります。新婚旅行で訪れました。感動の連続でした。
そして、主人と約束をしました。『また、来ようね』
それから、二人で一所懸命に働きました。多くの辛いこと苦しいことを二人で乗り越え
て来ました。あっという間に、長い年月が過ぎていました。

その主人が病に倒れ、亡くなりました。そして今日は、結婚記念日なのです。
主人との約束は今でもはっきりと覚えています。『また、来ようね』
その約束を果たす為に主人と一緒に来ました。(と、懐の中より一枚の写真を取り出し
ました)

仲居さんは、少し驚いた様子で「では、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」と
部屋を出られました。

温泉でくつろぎ、思いに時を過ごしていると、隣の部屋で夕食の配膳をしている
音だけが聞こえてきました。その音が静まり静寂の中で、静かにふすまが開き、
先ほどの仲居さんが「お待たせしました。お隣のお部屋にお食事のご用意ができ
ました。」と案内されるままに入った瞬間、それを見て驚きました。
二人分のお膳が用意してありました。

そして、仲居さんが「ご主人様とご一緒にお食事を」と言ったところで私は、
泣いてしまいました。涙が止まりませんでした。仲居さんも涙を流しながら、
微笑んでおられました。
なんとすばらしい心遣いでしょうか。何とすばらしい対応でしょうか。
私は、この時の感動を一人でも多くの方にお伝えしたくて
お便りをさせていただきました。ありがとうございます。」

  感動のサービスは人から人へと伝説となって伝わっていきます。
  いい会社の持っている共通の力と言えるのではないでしょうか。



平成23年3月11日14:46 東日本大震災が発生(M9)
感動のドラマに、日本が一つになる ガンバレ日本!
(感動のメッセージより引用)

*避難所
 避難所で四人家族なのに「分け合って食べます」と三つしかおにぎりをもらわない人を見
 た。きちんと一列に並んで、順番を守って物資を受け取る姿に、日本人の誇りを見た。

*電車
 駅員さんに「昨日一所懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言っている小さい子供を
 見た。駅員さん泣いていた。俺は号泣した。

*志願
 父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞
 き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持ってい
 く」家では頼りなく感ずる父ですが、私は今日ほど誇りに思ったことはありません。無事な
 帰宅を祈ります。

*ラーメン
 自宅は流されて自分は避難所にいるのに店が大丈夫だからって無料でラーメンをふるま
 っているラーメン屋さん・・日本ってこんなに暖かい・・日本に生まれたことを誇りに思う。



お菓子のデパートよしや神吉会長の
 「企業好転の10の法則」

一、今より二時間早く代表者は出勤しすぐ仕事にかかる。

一、トイレをピカピカにする。(新品より美しく)

一、良い言葉を発する。(マイナス言葉は言わない)

一、法律と約束は絶対に守る。

一、机の中はボールペン、赤色エンピツ、エンピツは必ず
   一本ずつにし、毎月一回机の中の整理をする。

一、社員全員の元気発揚。(大きな声であいさつ)

一、代表者は読書最低月三冊。社員は一冊。かつレポート提出のこと。

一、代表者は仕入先、販売先をできるだけ多く訪問する。

一、物をお渡しする時、また頂く時は、必ず「両手」で行い
   感謝の気持ちを最大限に、大きな声で、お礼を伝える。

一、売上、利益、実績と目標は、必ず全社員に報告する。

今日からすぐ実行できるものばかりです。資本も人材もいりません。
すべて三年継続すると、必ず良い社風の流れになります。



「縁を生かす」

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」、三年生の後半の記録には、「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると、「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」先生の胸に激しい痛みが走った。

ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

月刊誌『致知』連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。 
                             月刊誌『致知』紹介 2010年9月6日 日経より



 あるタレントが、以前、テレビで
こう言っていました。

自分はくだらない番組をやっても視聴率が上がる。自分では面白いとは思わないのに小説を書くと売れる。絵を描いてもいい絵だって評価され美術館だとかに収蔵されたりする。映画も自分の楽しみの一つとして創っていたら入賞してしまったり、グランプリで選ばれたりする。自分としては好き勝手にやっているだけで、人より才能があるとは思えない。

 でも、何をやっても全部評価されてしまう。「おかしい」よく考えてみても、自分の才能でそれらをやれるわけがない。ただ、心当たりは、たった一つだけ、ある。それは、若い頃に師匠に『トイレをきれいに掃除しろ』と言われてから三十年以上ずーっとトイレ掃除をやり続けてきた。ロケに言った時などは、公園のトイレがぐちゃぐちゃでも自分が使ったあとは必ずきれいにする。ときには、隣のトイレまできれいにして出てくることもある。もちろん、掃除道具をもって歩いているわけではないので、トイレットペーパーを使ってとか、あるいはトイレットペーパーがないトイレでは、素手でもやる、との事。そういうのを三十年以上ずーっとやり続けてきた。今のような話をテレビでたった一度しゃべった人がいるんです。その人の名は、北野たけし(ビートたけし)。

     小林正観先生のお話  「ありがとうございますのひと言」 神吉武司 著 より



介護日記(180) 〜心を無にして〜
 
 雪の深い北海道に、内観研修に向う。
 研修に参加したのは、30代から70代の7人。母から受けた愛を想うその二日目。
研修の合間に大石邦子さんのエッセイを朗読する。「雪」と題したその話は、ある雪の夜の母と子の話。

 橋の袂で妊婦である女性は一人陣痛に襲われる。橋の下に降り、一人の男の子を生む。彼女は自分の服を全て脱ぎ、赤ん坊を幾重にも包む。翌朝、発見され、子供は友人夫婦に育てられる。そして12歳の彼は母の墓前に参る。母の墓は雪に埋もれている。彼は雪を払い、自分の着ていた服で墓を包み始める。着ていた物全てで墓を包むと、震えながらこう言った。「お母さん、僕の為にこれよりも、これよりも寒かったのですね」

 この話を終えると75歳の女性が泣き出す。「母の最期に愛を返すことが出来なくて、母は命がけで私を産んでくれたのに・・・」と。
 「大切にされすぎて、心が鈍くなっていました。ごめんなさい。お母さん」こう言う50代の男性。
 親が親であり、子が子であることの意味。雪の夜、一睡もせずに喘息で苦しむ私を抱きしめて『この腕の中で』と泣き続けていた母を思う。命がけで私を産み、命がけで生きる事、死ぬ事を教えた母の慈愛。その身を使って、母の限りある時間を使って愛する事を教えた母に感謝 合掌
    
NPO法人 なごみの里 理事長 柴田久美子 様より(H22,3)



 「僕の夢」     小学校 六年生 鈴木一朗

 僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
 そのためには中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。
 活躍できるようになるためには練習が必要です。 僕は三才の時から練習を
 始めています。 三才から七才では半年くらいやっていましたが、三年生の
 時から今までは三百六十五日中三百六十日は激しい練習をやっています。
 だから、一週間中で友達と遊べる時間は五、六時間です。 そんなに練習を
 やっているのだから、必ずプロ野球選手になると思います。 そして、その
 球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。 ドラフト一位で契約金は
 一億円以上が目標です。 僕が自信のあるのは投手か打撃です。
 去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。 そして、ほとんどの投手を見
 てきましたが自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会四
 試合のうちホームラン三本を打てました。 そして、全体を通した打率は五
 割八分三厘でした。 このように自分でも納得のいく成績でした。 そして、
 僕たちは一年間負け知らずで野球ができました。 だから、この調子でこれ
 からもがんばります。 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるよ
 うになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢
 の一つです。 とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。



 プロゴルファー 石川遼選手の小学校6年生時の作文 ( 卒業文集 )

 二年後…中学二年生、日本アマチュア選手権出場。
 三年後…中学三年生、日本アマチュア選手権(日本アマ)ベスト8。
 四年後…高校一年生、日本アマ優勝、プロのトーナメントでも勝つ。
 六年後…高校三年生、日本で一番大きなトーナメント、日本オープン優勝。
 八年後…二十歳、アメリカに行って世界一大きいトーナメント、マスターズ優勝。
 これを目標にしてがんばります。マスターズ優勝はぼくの夢です。
 それも二回勝ちたいです。みんな(ライバル)の夢もぼくと同じだと思います。
 でも、ぼくは二回勝ちたいので、みんなの倍の練習が必要です。
 みんなが一生懸命練習をしているなら、ぼくはその二倍、一生懸命練習をやらないと
 だめです。ぼくはプロゴルファーになって全くの無名だったら、「もっとあのときにこうして
 いれば……」とか後悔しないようにゴルフをやっていこうと思います。
 来年には埼玉の東京GCで行なわれる「埼玉県ジュニア(中学の部)」で優勝したいです。
 今は優勝とか関係ありません。
 中学生になってからそういうことにこだわろうと思います。
 高校生で試合に優勝すると、外国に招待してくれます。
 その試合で世界から注目される選手になりたいです。
 ぼくは勝てない試合には今は出ません。ぼくの将来の夢はプロゴルファーの世界一
 だけど、世界一強くて、世界一好かれる選手になりたいです。



『将来の夢』 本田 圭佑 (小学校卒業文集)

ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。 世界一になるには 
世界一練習しないとダメだ。だから 今 僕はガンバッている。今はヘタだけれどもガンバッて 
必ず世界一になる。 そして 世界一になったら 大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になって ぼくは外国から呼ばれて ヨーロッパのセリエAに入団します。
そして レギュラーになって 十番で活躍します。一年間の給料は四十億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンパーを作り 世界の人がこのぼくが作ったスパイクや
ジャンパーを買って行ってくれることを夢見ている。
一方 世界中のみんなが注目し 世界中で一番さわぐ 四年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは 日本に帰り ミーティングをし 十番をもらってチームの
看板です。
ブラジルと決勝戦をし 2対1でブラジルを破りたいです。この得点も兄と力を合わせ 
世界の強ごうをうまくかわし いいパスをだし合って得点を入れることがぼくの夢です。



 ツキを呼ぶ『魔法の言葉』

 @嫌なことがあったら『ありがとう』 
  文字どおり「難が有る」ときに「有り難う」といいましょう。不幸は重なる
  ものです。「ありがとう」という事で『不幸の連鎖』が断ち切られ、逆に
  『いいこと』が起こるのです

 Aいいことがあったら『感謝します』
  感謝する対象は何でもかまいません。「感謝します」といいにくければ、
  ありがとうございます」でもOKです。

 Bいつも前向きに『ツイてる!』
  「ツイてる!」「ラッキー!」・・たとえ小さなことにでも、これらを口癖に
  すれば、ツキは必ずやってきます。なぜなら、言葉は心を変え、習慣を
  変えツキを引き寄せるからです。


   『ありがとう』を沢山言える人に幸せが、
   『ありがとう』を沢山言われる人に成功が訪れる


      工学博士 五日市 剛 氏 「ツキを呼ぶ魔法の言葉」より



「ありがとう」  
 笹田雪絵さん 《 MS(多発性硬化症)という難病で若くして亡くなった少女 》の詩

ありがとう、私決めていることがあるの。
この目が物をうつさなくなったら目に、
そしてこの足が動かなくなったら、足に
「ありがとう」って言おうって決めているの。
今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、
私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。
夜の道も暗いのにがんばってくれた。 足もそう。
私のために信じられないほど歩いてくれた。
一緒にいっぱいいろんなところへ行った。
私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。
なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき
「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。
今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。
だからちゃんと「ありがとう」って言うの。
大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから
「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。
たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うので……。

        (ドキュメント映画「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」より)



 『見えないところをきれいにすると、見えるところが光り出す』
                        松下幸之助
 『バックヤードをきれいにしないと、接客術がきれいにならない』
                        リッツ・カールトン


サービスの心構えは、『無上意』です。
これは、仏典にある言葉で、『これ以上ない行為』という意味です。

お手本ともいうべき話をご紹介させて頂きます。

苦楽をともにしてきた奥様を定年前に亡くし、四国八十八ヶ所の巡礼を終えた、ある一人の男性が、最後に立ち寄った高知空港の日本料理店で、ビール一本と土佐名物カマスの姿寿司を注文した。
 
男性から『申し訳ありませんがグラスは二つで』と注文を受けた若いウェートレスは、不思議そうに思いながらも指示に従い、まずビールとグラス二つを出した。

すると男性は亡き奥様の写真をテーブルの中央に置き、その前のグラスにもビールを注ぎ乾杯をした。ウェートレスは、瞬時に事情を察し、寿司を運ぶときには、箸と箸置きを二組、小皿を二枚持っていった。
 
後日、お店に届いた男性からの手紙にはこうあった。
『四国への旅には家内の写真と一緒に出かけ、食事の時には一緒にビールを飲みました。しかし、お箸と小皿を二人分だしていただいたのはお宅が初めてです。驚きました。感動で身体が震えました。帰りの飛行機の中では涙が止まりませんでした。
 本当にありがとうございました。』

 お互いに日常生活では『無上意』を心掛けて、人々を感動させる美しい日本精神を、いま一度、われわれの手で取り戻りましょう。まずは、身近にいる人への気くばり、心配りからです。
          (タニサケ 松岡社長 「人生道場(後編)」P48より引用)
                 


 『本気』 という題の詩を3つ

  『本気』
  本気でやれば大抵のことが出来る
  本気でやれば何でも楽しくなる
  本気でやれば皆が助けてくれる


  
『本気』(坂村真民)
  本気になると 世界が変わってくる 
  自分が変わってくる 変わってこなかったら 
  まだまだ本気になっていない証拠だ

  本気な恋 本気な仕事 ああ 人間一度 
  こいつを つかまんことには


 
 『本気』(相田みつを)
  なんでもいいからさ 本気でやってごらん
  本気でやれば たのしいから
  本気でやれば つかれないから
  つかれても つかれが さわやかだから

      《二宮 尊徳》
  遠くをはかる者は富み
  近くをはかる者は貧す
  それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う
  まして春まきて秋実る物においてをや
  故に富有なり。近くをはかる者は
  春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず
  唯眼前の利に迷うてまかずして取り
  植えずして刈り取る事のみ眼につく
  故に貧窮す。



   少女の言葉に学ぶ『本気で生きるとは』

沖縄の十七才になる女の子のお話です。洋子ちゃんは車椅子の生活でおしめも放せず、お母さんに全ての世話をしてもらっています。施設の七夕祭りで短冊に願い事を書こうという事になりました。しかし、洋子ちゃんは書こうとはしません。先生が「洋子ちゃんも書こうね」と言っても、少し考えて「私、書かない」と言うだけです。先生が「なぜ、書かないの」と聞きますと「『歩けるようになりますように』と書いても歩けるはずないじゃない。できもしないこと書くのいやだ」。彼女は真剣に生きているのです。先生が「洋子ちゃんの短冊だけ白紙だと皆が悲しむよ」と言いますと、彼女も大人です。そして、彼女は短冊に
《お母さんの死ぬ一日前に、死ねますように》
と書きました。それを見たお母さんは、「先生、私にも書かせてください」と言って、洋子ちゃんの短冊に並べて掛けられました。お母さんの短冊には、
《洋子の命よりも一日多く、神様、私に命を下さい》
と書かれていました。

上司は、部下に対して真剣に、そして本気で生きようと語りかけているでしょうか。強い会社には、その仕組みがあります。 
(月刊誌 致知 より)



        《見えないものへ心を向ける》

人は財産だといいながら、社員を消耗品のようにしか扱わなかったり、儲けや損得ばかりを考え、単に売上を伸ばすためのノウハウ・テクニックばかりを追求しても、決してその会社は成長する事はできないでしょう。それに取り組む人間の心が豊かでなければ、組織は活性化しません。やはり基本は、心の豊かさだと思います。ある会社の社長は、毎年入社試験で学生に、必ず2つの質問をするそうです。「あなたはお母さんの肩たたきをしたことがありますか」「お母さんの足を洗ったことがありますか」ほとんどの学生が経験していないことです。すると社長は、お母さんの足を洗って3日後に報告に来てくれたら、それで入社試験は終わりだというのです。学生たちは皆、そんなことで入社できるのなら、とほくそえみながら会社を後にします。ある学生は、忙しい母親をようやく縁側まで連れて行き、たらいに水を入れ、鼻歌交じりに準備を始めました。ところが、母親の片足を持ち上げた瞬間、その足の裏が余りにも荒れ放題にあれているのを手のひらに感じ、絶句してしまいました。その母親は若いときに夫を事故でなくし、死にもの狂いで働いて子供たちを育ててきたのでした。そのことを悟った学生は、急に胸が一杯になり、「母さん、長生きしてくれよな」と、ひとこと言うのが精いっぱいでした。それまで、息子の柄にもない孝行を冷やかしていた母親は、「ありがとう」と言ったまま黙り込んでしまいました。ふと、彼の手に落ちてくるものがありました。母親の涙でした。学生は母親の顔を正視できなくなり、「お母さんありがとう」と言ってそのまま自分の部屋に引きこもってしまいました。この会社の面接では同じような経験をした学生たちがたくさんいて、「こんなにいい教育を受けたのは始めてでした」と、礼を言いに訪れます。彼らは皆、日頃見えない母親の足の裏から、大切なことに気付くのです。それに対して社長はいつも、人は決して一人で生きているのではない、たくさんの人に支えられて生きているのだ、と諭されるのだそうです。 
:「致知」特集 [感謝する]:より


≪ジェームズ・アレン≫

ジェームズ・アレン(18641912)は、デール・カーネギーやナポレオン・ヒル等の「成功哲学」に大きな影響を与えたイギリスの作家です。彼の言葉をご紹介させていただきます。

*人間は自分が考えたとおりの者になる。行いは思考の花
 であり
びや悲しみはその果実である。

*気高い夢を見ることだ。あなたはあなたが夢見た者に
 なるだろう。
あなたが掲げる理想はあなたがやがて何
 になるのかの予言である。

*人生の中には運や偶然と言う要素はまったく存在しない
 人間は
常に自分の思考と同種のものを手にしながら
 
自分が学び成長するために最適な場所にいる。

*人間が持続的な幸せを手に出来るのは利己的な自我を
 排除したと
きのみである。

*もしあなたが環境が悪いと感じているとしたら本当
 に悪いのは、
あなた自身である。真の純粋な幸せは
 らかに非利己的に生きる
事で誰もが手に出来る事である
                           (文責:丸山)



『努力している人間を運命は裏切らない!』
『必ず思いは叶う! 必ず道は開ける!』


              
《レイ・クロック》 
 
ハンバーガーで巨万の富を得たのは、マクドナルド創業者レイ・クロックです。しかし、彼は53歳までミキサーのセールスマンでした。
 
 実際にマクドナルドレストランを創業したのは、1935年ディックとマックのマクドナルド兄弟でした。モータリゼーションの波に乗り繁盛しているこの店にミキサーの販売を伸ばす為に、レイ・クロックは店舗を増やす提案をしました。  

 しかし、兄弟からは「冗談じゃあない。一店舗でもこんなに忙しいのに増やすのはゴメンだね」と冷ややかな返答が帰ってきました。そこで、彼は人が想像もできないハンバーガーチェーンの構想の夢を見て、全財産を換金し「私にとっては生きるか死ぬかの選択だった。」と言わせるほどの決意をし「権利を買いたい。私にマクドナルドハンバーガーをやらせてくれ」と申し出ました。

 その勇気と決断と不倒の努力と信念が彼の夢の実現の原動力となったことは言うまでもありません。

          
《カーネル・サンダース》 

 1890年生まれ、7歳で父を亡くし母弟妹を助けます。学歴は、小学校だけ。数多くの仕事を経験しながら40歳近くでガソリンスタンドの経営を始めます。「一所懸命のサービス」を実践するが大恐慌と干ばつによる貸し倒れで廃業。片腕の自慢の息子も亡くし挫折の連続の半生を過ごします。

 6席だけの小さなレストランを開業し、チキン料理が評判となり「猛然と働く意欲」で店は繁盛します。しかし、火事やハイウエーによる車の流れの変化と苦難が次々におそい65歳で廃業します。そして、無一文から不屈の精神で1羽5セントのチキン調理法を販売(FC)し73歳で600店のチェーンができあがりました。

 「お客様の為にできるだけ働き続けろ。働きすぎて人はだめにならず、休みすぎて錆び付きだめになる」とその言葉どおり、90歳で生涯を閉じるまで現役を通し、ケンタッキーフライドチキンの創業者として名を残しました。 「決して、決して、決してあきらめず困難をバネに挑戦しつづける」成功者の共通点が読み取れるのではないでしょうか。
                          (文責:丸山)


     21世紀は『相互依存の時代』  
 
 組織は、才能豊な人材が揃っていても同じ展望を共有しなければうまくいかない。21世紀に成功する為の最大の特徴は、 『相互依存』と言える。勝者と敗者のゲーム理論ではない。全てが幸せになる社会状況を創り出さなければならない。
 
 変化は困難を伴うと理解する必要がある。最大の困難は変えたくないと思う人がいる事だ。しかし決意を固め進み続ける事が必要である。過去は変えれない。将来は自分達で創れる。  
 
 ユダヤ教は「隣人に背をそむける事は神に背を向ける事と同じ」 コーランでは、「出会いはお互いを学ぶ為」仏教では「憎悪をなくす事ができるのは愛情だけ」他の人に対して愛情を感じられ る人は、他の人に良い事をしているだけでなく自分自身をも豊にし自分自身を強くしているとも言える。  

 歴史を振り返ってもこの新世紀は、最も平和で成長できる時代。 勝ち負けではなく皆が幸せになっていける<非ゼロ>の時代で ある。21世紀が「子供達に託す事が叶う世紀になりたい」と 願うならきっとそうなる。力を合わせて一緒にやっていかねば なりません。
                          
2001.8
  
      第42代アメリカ合衆国大統領 ウイリアム・J・クリントン
                         (文責:丸山)

    鍵山秀三郎 語録
            =イエローハット創業者=

          <続けると身につく>

Θ 凡事、つまりたわいもない雑事と言われているもの
   でも一所懸命にやることです。それがやがて実を
   び、花開くことになります。

Θ 私たちが道路を掃除したり洗車したりしても、大した
   ことはないかもしれませんが、それが少しでも周り
   人に豊さを与えられるならば、それでいいのです
   私はそうした人の香りがする会社に育て上げて
   きたいと願っているのです。

Θ 最初から会社全体をいっぺんにきれいにするという
   のではなく、少しずつきれいにする場を広げていく
   それも徹底してやる。この徹底してやるということ
   が肝心なのです。初めはほんのわずかな一部分で
   いいのです。例えば自分の机の上や机の周りを、
   次に床のタイルを二十枚ずつ、次に廊下を五メート
   ルずつというように、小さい部分からそれも徹底し
   てやるのですね。

Θ 「一つ拾えば一つだけきれいになる」例え何十万個
   のゴミがあっても一つ拾えば一つだけでもきれい 
   になるわけでして、拾って汚くなることはないので 
   す。ですから一つや二つ拾ったってしょうがないじ 
   ゃないかという考えではなく、一つでも二つでも拾 
   えばそれだけ世の中がきれいになる。そういう考え
   です。

Θ どんな事でもまず一人が、自分一人がやる。そうい
   うことを続けていくと、いつのまにかみんながやる 
   ようになり、しかも誰も彼もが善くなるということです。 


         
 《堺サクセスクラブのご案内》
            =夢は実現します!= 
  鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂をこめた
  熱意を持って行動すれば、何事も必ず実現する
                       (ポール.J.マイヤー)  
 
※日時 ⇒ 毎週木曜日 AM6:00〜7:30
     ※会場 ⇒ フジイ企画 堺市柳之町東1-1-7
                     KOKOレジデンスA203
          TEL 072-227-2790
 
     ※会費⇒ 二千円/月 =見学は自由です=
         (教材はSMIプログラムを活用します)
    

   ・ 閑ーマスブレーン代表取締役 丸山 孝明  080−3861−3655



≪堺掃除の会≫

 *毎月、第二日曜日AM8:00−AM9:00仁徳天皇陵正面横のトイレ掃除です


≪堺若竹読書会≫森信三先生に学ぶ

             (平成26年3月1日) 

 *毎月、第一土曜日18:00−20:00
     堺勤労福祉会館(堺郵便局本局となり)
 *参加費 千円
 *教材「森信三 魂の言葉」PHP
  十八時定刻に、「立腰、瞑目、静坐、一分間そして教材を一人数行輪読し
  87歳超お元気な寺田一清先生の講話があり、その後各人の感想と近況
  発表があります。二時間があっという間の充実した人間学が学べます。

  二十時定刻終了し、これからが寺田先生を囲んで楽しい二次会です。
  会費二千円で90分本音トークのひと時を過ごします。

 ☆読書会は、他に「岸城読書会(第三日曜日18時〜岸和田公民館)
   「大阪読書会(上六アウイーナ大阪日曜朝9:30−)等があります

≪戦略塾≫
 *毎月第ニ木曜日18:30−20:30
  経営指針の作成及び推進を目的とした異業種学習会です。